大女優・月丘夢路

豪華な舞台でファンを魅了する宝塚。

その宝塚のトップスターとして活躍し、
後に映画女優へと転向したのが月丘夢路です。

今でこそ数々の名作を残している日活ですが、
実は映画制作が中断された時期がありました。

太平洋戦争のさなかのことです。

中断されていた映画制作が再開されたのは、1949年のこと。
見事復活した日活映画の中でも、月丘夢路(つきおか ゆめじ)は花形女優の一人でした。

月丘夢路が生まれたのは、1922年。
広島で生まれた彼女は、16歳になると宝塚歌劇学校へと入学。

その美貌とプロポーションからたちまち人気を集め、
自主制作映画「南十字星」や「瞼の戦場」に主演しました。

またその翌年には巨匠・五所平之助に目を留められ、「新雪」に主演。
当時は戦時下にあり人々が重圧を感じている時代でしたが、
彼女が演じたヒロインの爽快さは多くの人に愛されました。

こうしてスター街道を突き進む月丘夢路ですが、敗戦後は大映から松竹に拠点を移すことになります。

エキゾチックな美貌で映画に華を添えた彼女は、助演を含めればなんと90本の映画に出演。

安手なメロドラマから、小津安二郎監督の「晩春 」、生まれ故郷である広島を襲った原爆への想いを爆発させた関川秀雄監督の「ひろしま」、そして川島雄三の演習が映える「東京マダムと大阪夫人」まで、
活躍の場は様々。


成熟期に入ると日活に移り、円熟した女優として「銀座二十四帖」、
「自分の穴の中で」、「白夜の妖女」、「火の鳥」に出演。

特に「火の鳥」は、この映画に出演したことが縁になり、
井上梅次監督と結婚した作品であります。

夫婦揃って日活を離れた後も「釈迦」、「華麗なる一族 」に出演しましたが、
その後彼女は活躍の場を映画からテレビドラマに移していきました。

絢爛豪華な宝塚歌劇団から、映画、テレビドラマへと次第に活躍する場所を移していった月丘夢路ですが、そのエキゾチックな美貌と素晴らしい演技は今なお褪せることなく映画ファンの記憶に残っています。



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