退屈男・市川 右太衛門

ichikawaebizou
目立つ額の傷跡に、
恰幅の良い精悍な身体にきらびやかな着流し。

これだけでも十分過ぎるほど人の目を引くと言うのに、さらに親子ほども年が離れている若い女優達をはべらせ、迫ってくる敵にも怯まず颯爽と名乗りをあげるのが市川右太衛門。

1907年に生まれた彼は、
1925年に映画俳優としてデビューしました。

デビュー作はマキノ映画の「黒髪地獄前後編」になります。

彼はデビュー以来、大河内伝次郎や板東妻三郎、片岡千恵蔵等と並ぶ時代劇のスターとして、多くのファンと人気を獲得しました。

しかし市川右太衛門自身は人気があったものの、
彼が出演した作品は、残念ながらあまり脚光を浴びることはありませんでした。

彼が出演している作品で有名なのは、「旗本退屈男シリーズ」くらいではないでしょうか。

「旗本退屈男シリーズ」は31本も作られた大ヒットシリーズになりますが、
どうしてもその人気に寄り掛かりすぎた感は否めません。

しかし、その代わりにこのシリーズの人気は凄まじく、
著名人の中にもファンがおり、「三日月党」と言うファングループが結成されたほどです。

市川 右太衛門の「旗本退屈男シリーズ」以外の出演作は、溝口健二の「元禄忠臣蔵」(徳川綱豊役)、
最左翼であった亀井文夫の「無頼漢長兵衛」(小米栖長兵衛)、黒澤明脚本「ジルバの鉄」などが比較的有名ですね。

「旗本退屈男シリーズ」に安住しながらも、市川右太衛門は様々な役に挑戦してきました。

その中でも50年に制作された「戦慄」では、世間の
罵倒に近い評価に反し、市川自身は意気込んで老刑事とギャングの二役に挑みました。

更に市川右太衛門は新しいことへの挑戦として、61年に中川信夫監督の「八百万石に挑む男」に出演。

どのような役にも意欲的に取り組み、
チャレンジ精神を忘れなかった市川ですが、残念ながら99歳でこの世を去りました。

他の大スター達に比べると
代表作が少ない市川ですが、その俳優としての姿勢には感嘆に値するものがあります。