恋に生きた大女優・岡田嘉子

1900年代の北海道出身の大女優と言えば、
やはり岡田 嘉子ではないでしょうか。

北海道の小樽で女性ながらに記者をしていた岡田は、
そのかたわらで文士劇に出演していました。

生来の美貌が評判を呼び人気を上げ、その後舞台女優を目指して上京。
上京後は「新芸術座」に加わり、舞台女優として活躍しました。

そんな岡田 嘉子が映画女優として名をはせるきっかけになったのは、
田中栄三監督の「髑髏の舞」(23年)です。

この映画に出演したのをきっかけに、映画女優としてブレイク。
その後も様々な映画に出演することになります。

関東大震災以降、岡田は日活が復興すると巨匠・村田実の「街の手品師」に出演。

この作品を皮切りにして、衣笠貞之助の「一本刀土俵入り」(34年)、
小津安二郎の「東京の宿」(35年)と、次々に名作と呼べる映画に主演しました。

こうして、岡田は押しも押されぬ名女優の仲間入りを果たします。

しかし岡田 嘉子の名を有名にしたのは、女優業だけではありません。
彼女は日頃抱える鬱屈の遣り場を、恋愛に求めてかしばしば浮き名を流しました。

有名な出来事としては、
「椿姫」(27年)の撮影中に相手役として共演していた竹内良一との駆け落ち結婚。

竹内良一とは後に離婚しましたが、この出来事をはじめ、多くの恋の噂を流した女優でもあります。

さらに共産党員の杉本良吉と北緯50度線を越えてソビエトへ亡命した時には、日本中が震撼しました。

杉本は亡命時にスパイ容疑で銃殺されましたが、彼女はモスクワ放送局日本語放送課から

マヤコフスキー劇場と活動の場を移し、演出として舞台にたずさわっていました。

その後ソ連国籍を取得した岡田 嘉子は、72年に再び来日し、幾つかの舞台に出演します。

映画では寅さんで有名な「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」と、他二本に出演しました。

名女優でありながら、自分の感情に正直に生きた岡田 嘉子。

彼女はその後ソビエトへ帰り、92年の生涯を終えました。



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