松竹男優トリオ・佐野周二

戦前の昭和初期から活躍し、日本映画史を支えた俳優の一人が佐野周二です。

太平洋戦争に邦画界を引っ張ってきたのは、松竹映画。

作られる映画の質はもちろんのこと、
興行収入も高く、名実ともに邦画界のトップに君臨していました。

そんな時期に活躍した俳優と言えば、上原謙・佐分利信・そして佐野周二の三人。

しかし上原謙や佐分利信に比べると、
残念ながら佐野周二は戦後あまり飛躍出来なかったスターでもあります。

佐野が生まれたのは、1912年。

131本もの映画に出演し、生涯最後の出演作は鈴木清順監督の「悲愁物語」(77年)になります。

彼は特に戦前に活躍した俳優であり、
五所平之助監督の「新道」や、小津安二郎監督の「淑女は何を忘れたか」が有名。

この当時はまだ、上原や佐分をリードする俳優でした。

そんな佐野が、何故長く活躍することが出来なかったのか。
その理由は、やはり戦争にあります。

佐野の魅力は、明るく朗らかでありながら、野性味のある若々しさと存在感。
しかし、そんな魅力が最も高いであろう時期に、佐野は二度も戦争に召集されてしまいました。

もちろん、それで俳優としてまるで駄目になってしまったと言うわけではありません。

除隊中に出演した小津安二郎監督の「父ありき」(42年)は今でも傑作と呼ばれており、
そこで佐野は素晴らしい演技を披露しています。

また戦後の、佐々木康監督の「そよかぜ」は、
主題歌であった「リンゴの唄」と一緒に今でも親しまれている作品。

この他にも「待ちぼうけの女」や「風の中の牝鶏」、「お嬢さん乾杯!」、「カルメン故郷に帰る」など、多くの作品に出演しました。

松竹を離れて「まどかグループ」を作り上げた後も、「台風騒動記」、「大阪の宿」、「暴れん坊街道」、「花影」、「反逆児」、「黒部の太陽」などに出演し、ベテランの貫禄を見せています。

しかしやはり絶頂期のような精彩を取り戻す事は出来ませんでした。

佐野周二は78年にこの世を去りましたが、
佐野周二の息子の関口宏は現在でもバラエティなどの司会者として活躍しています。